私立中学というものは
さあ いよいよいち子の中学生活が始まりました。
私自身かなりほっとしていたのですが、とんでもない!!
ここが地獄の門の入口で、
テレビドラマに出てくるような激しいバトルの中、
に子はマイペースに勉強を続けるのでした。
制服がないということ
いち子の学校は、小学校 中学校 高校とすべて制服がありません。
これは100年続く同志社は京都の人達にとっては
当たり前の事らしいのですが、
制服がないとなると、
一体何を着ていったらいいか、悩みます。
そして新学期までに用意したカジュアルな服装をいち子が「ちがーう。。」と叫び
次の日曜日に買いにいくことにしました。
いち子が手に持っているものを見るとわかります。
いち子は女の子らしいかわいい洋服がお好みのようでした。
そしてこの時期にお約束の
「ギャル」系のタイプもありました。
特にこういったギャル系のスタイルは、
長期休みに私の実家に帰った時に
渋谷にいって買ってもらっていました。
ご近所の目が痛い
当時、私服の中学に行っているいち子は
近所でもかなり目を引く存在となり、
いち子に出会うと「今日ね、いち子ちゃんにあったわよ、すごい短い服着てたけど」と頻繁にラインが入るようになりました。
私は、そのあたりはやはりFラン母さんなので、
本人の好きな恰好をすればいいと
特に注意をすることもありませんでした。
ですが、中学生が8センチのパンプスで学校に行くのは
かなり目立っていたようです。
反抗期はじまる
そして中学受験で一杯だったいち子に自由が訪れると、
もうやりたい放題の反抗期が始まりました。
注意をしても聞かなければ中学生が夜遅くに帰ってくる、
そして成績は、ぎりっぎりの点数でなんとかという具合です。
勉強に関しては本人も友達がいることで
どうしてもこのまま高校に上がりたい気持ちがあったようで、
すれっすれにいつもすりぬけている感じで学年が上がっていきました。
面談にいくことに
テストが終わって学期末になると面談が始まります。
しかも何日の何時に電話が言った人というドキドキのものです。
そんな面談を毎回受けることになった私は、
もう怒っても成績が良くなるわけではないし、
しょうがないな。なんて旦那と話をしていました。
その頃私は、
もうここまで来たのだから中卒でもいいと旦那と相談していました。
世の中勉強がすべてではない。
いち子に合ったやりたいことがある。
と二人で話していたものです。勉強ができない、
勉強しない子供に勉強しなさいというくらい無意味なものはないんですね。
やってるふりをしていたり、
本当にやっていても抜けているところが多く
もうとりもどせない。
私もFランなのでそのことがよくわかります。
なので中学で終わりにしたら?と勧めていました。
ですが、同志社でお友達ができてどうしても一緒にいたい。
その気持ちが強く、いち子はやめるといわない。
でも成績は危うい。
そういう生徒には追試や補習があります。
そして普通の生徒さんたちがしない小テストをたくさんするんです。
お友達も心配して面談の時にきてくれたこともあります。
それでどうにか高校に上がれるといったことになりました。