Fラン母さんが長女有名大、次女医学部に押し込むまで~3~

里帰り出産からいざ自宅へ

「里帰り」をして出産するぐらいなので、

まあ自宅はかなり離れたところにあるのだろうなって察してくださると思います。

新幹線に乗って遠く自宅へと帰ってきた私。

なんだか、新しい違う世界に紛れ込んだような気がしてなりませんでした。

 

それでもまーさすがにいち子。

帰ってそうそうギャン泣きが始まり、

それからの私の育児は、もう睡眠不足との闘いとなりました。

昼でも夜でもいつでもギャン泣き。

 

夏休みに「記念にホテル泊まろうよ」という甘い言葉に誘われて

3人で出かけました。

ですが部屋に入ってからのいち子のパワフルな泣き声はいつまでも続く。

 

夜中の12時を見たあとに「かえろうか」と私と旦那で思い、チェックアウトへ。

そんな時フロントさんが「泣き声のことでお客様からの電話がおおいんですよね。」

「はい。そうだと思います。私たちもどうにもならず帰ります」

「そうですか笑」

と諦め半分、へとへと半分で車に乗って帰ると

いち子は車の中で爆睡。

そして家に帰るとまたギャン泣き。

その時は、一日でいいから思いっきり寝たいと

そればかり考えたいました。

だってはじめての関西。

生まれも育ちも親戚もみんな関東の私が

はじめて関西に行くことになりました。

 

全く知らなかった世界。

 

そこは隣の電車でのおばちゃんたちが

聞き取れないほどスピーディにはなし、

となりに座れば「あめちゃんいる?」

これほんとの話です。

 

また私は病院の会計をするために

いち子を椅子において清算して

振り返ったらいち子が知らないおばちゃんに

抱っこされたいた。

なんてこともあるんです。

関西人はとにかく親切。

知る人もいない私は断言します、

転勤になったらぜひ

関西をお勧めします。

 

第1ラウンドがなった

私VSいち子

それは熾烈を極まる戦いの火蓋が切られたということ。

とにかく未熟児にちかいような力の弱いあかちゃんと違って、

いち子はすでに怪力。

そしていつでもミルクを欲しがりギャン泣き。

私も徹底抗戦に出ました。

 

いち子はミルク派だったので、

どこのミルクでもわかりません。

一番安いミルクを買って、

泣き続けるいち子には、一番大きなサイズの

哺乳瓶を差し上げました。

しかもコーラの早飲みのように恐ろしい速さで飲んでしまう。

そのことをババに泣きつくと

「何言ってんの。うちの兄男だってそうだったわよ。

だからね、普通に作ったミルクを薄めるの。わかった?」

そっか!その手があったか。

やっぱりこのババにしてFランは生まれませんよね。

そしてその血は脈々といち子に受け継がれることとなりました。

あ、誤解されるといけないので、言っておくと

その月の赤ちゃんにあったミルクの量をもちろんあげています。

ですが足りないんですね。

でも水は水。あっといまに終わっているのでした。